ヨコタのそれはそれ、あれはあれ。

ヨコタの感じた日々のあれこれ

ダイアモンドパープル

どうやら、宇宙はひと飲み出来ないことがわかった。


終電、最寄りの駅のコンビニで、缶ビールを買い家への帰路の途中に、宇宙もきっと350mlだと誤って認識したのがそもそもの始まりである。


実際の所宇宙は350mlに収まった。
ただ、家の洗面器にも、タバコケースにも、ペットボトルのキャップにさえ収まった。


握ったかと思えば砂ようにさらさらとこぼれ落ち、床に落ちれば波のように脈打ち、大小に形を変えるそれに俺は困り果てている。



ゴウゴウと鳴く1kの換気扇の下でタバコを吸いながら、俺は近くのタッパーを手に取りそれをその中に入れた。

宇宙はたくまにタッパーの形を成し、今にも溢れそうだったので急いで蓋をし、冷蔵庫に閉じ込めた。


翌朝になったら、出勤と同時に捨てて、捨て宇宙になってもらおう。
きっともっといい人に拾って貰えるよ。


そんな事を考えながら眠りについた。



ーーーーー

霧の濃い森の中でどうやら俺は迷子らしい。
すぐに夢だとわかった。

肌寒いので早く起きたいが、夢から覚める方法は教わったことがない。
俺は教わった事しかできない。

教わった事も完璧に出来るわけじゃないけど。


仕方がないので森を奥に進むことにした。

落ちた枝がバキバキと断末をあげ、茂みを抜けた。


茂みを抜けると一本だけやけに新しい木が生えていた。
枝には風船がくくりつけられていて、風が吹いているのにその場に張り付いたように動かない。


キラキラと光る風船の色を、何故だか直感でダイアモンドパープルだと思った。

木に寄り風船に手を伸ばそうとした時、耳元で誰かが

これはババ抜きだよ

と囁いた。

ーーーーー


やっぱり夢だった。
母親替わりのスマートフォンに起こされてそう思った。

起き抜けの一服はただの眠気覚ましだ。


夢の言葉が妙に引っかかって冷蔵庫を確認する。
宇宙はタッパーの中でだんまりを決め込んでいた。


お前はババ扱いだとよ。




職場の女の子に恋をしている。
話した事はない。

人と話す彼女を見るに、そのうち俺はこの人を好きになってしまうんだろう、と思った。

以来彼女を目で追うようになり、やはり自分の予想は当たった。


あの日、彼女が小さく伸びをする様を後ろから見ていた。
恋愛の厄介さは、そういった他愛ない仕草すら美しいと感じてしまう所にある。


仕事に疲れたのか、眠たいのか、あるいはただのストレッチだったのか。
いずれにせよ、彼女の所作は美しくも可愛らしくもあった。


この時になってようやく彼女を何も知らない事を思い出す。

彼女を知らない。教えてほしい。知りたい。
今俺の見えてない顔はどんな顔をしているの。
綺麗なあなたしか知らないよ。
どんな悪い所があるの。



その瞬間見えていないはずの、彼女の奥歯に、大腸に、足の指の間に、キラキラ光る宇宙がある気がした。

その色は紛れもなくダイアモンドパープルだった。


気付いた時には、ズボンのポケットに宇宙は入っていて、ぼたぼたと、床に流れて落ちていた。


溢れて溢れてしょうがなくて参った。


その晩、俺は彼女を飲みに誘った。
初めての会話である。
彼女は、俺がいつも見ている時と同じように喋った。
奥歯はまだ見えない。


結局帰り際に、今日初めて話したけど、、、と前置きをして切り出した。
彼女はひとしきり俺の話を聞いた後、
ありがとう
とだけ言った。


あの夜、もう少し上手くやれた気がする。
とうとう彼女の奥歯は確認出来なかった。


後悔とかはしてないけど、と呟く。
換気扇(電気の奴隷だ!)の下でタバコに火を灯した。


初夏の蒸し暑いキッチンで喉が渇いた時、タッパーのそれを思い出した。


きっともうババ抜きは終わってるんだよ。
あげる人も取る人もいないんだよ。

そう思って宇宙をコップに注いだ。


ふう、と一呼吸おいて俺はそれを一気飲みした。

瞬間、鉛を直接丸呑みしたかのような重さの衝撃がはらの底にくる。

コップに目をやる。

たしかに一気飲みしたはずなのに、そこには半分ほどになった宇宙があった。


どうやら、宇宙はひと飲み出来ないことがわかった。





そういえば彼女は俺の奥歯は確認してるのか気になった。

ダイアモンドパープルは冷蔵庫から出したばかりだったからなのか、コップには水滴が付いている。