ヨコタのそれはそれ、あれはあれ。

ヨコタの感じた日々のあれこれ

蛇含草

蛇、一分間に数回呼吸をする

蛇、一分間に数回呼吸をする

 

もち食えど、そば食えど

みにあまる みにあまる

 

ミニアニマルを見に集まる

ミニアニマルを見に集まる

 

金、貯めど 幸、集めど

みにあまる みにあまる

 

いっせーのっせ。

 

愛飢えど 愛蓄えど

そこの薬草飲んでみなさい

 

さぁみにあまる みにあまる

 

目で追えないたくさんの蕎麦、餅に囲まれて

やれ幸せだ、やれ儲けだと

 

大蛇は笑う

 

人が波乗り くわばらくわばら

溶けてはなくなり くわばらくわばら

 

さあそこの薬草を飲んでみなさい

何が残るか見てみなさい

 

必死に集めた悲しみか、

必死に貰った同情か、

 

さぁ さぁ

さあさあさあ

 

はっけよーい。

 

蛇、一分間に数回呼吸をする

蛇、一分間に数回呼吸をする

 

名無しの星

28歳になった。

おかげさまでなんとか漕ぎ着けた28歳。

 

バンドをやって歌を歌って毎日を過ごす。

そんな僕は友達が少ない

というより親友と呼んでくれる人は多くない。

 

28歳になって考えたことはそんな事だった。

 

そんな自分の人との距離の取り方を整理した。

 

僕は人間的欠落があまりに多い。

なんで?と思うようなミスも散見されるし、その度自分が嫌になる。

そのくせ、自分の事が大好きだったりする。

 

そんな変な自己愛故に、人はいつしか自分から離れていくのだろうと、無責任な予感を常に抱えて生きているし、それは心の予防線ともいえる。

 

僕はしばしば、人に無礼な態度を取ることがある。

こんな自分に来てくれた人をぞんざいに扱う。

 

この行動がなんなのか最近わかってきた気がするのだ。

 

自分は安心がしたいのだ。

先に述べたような予感が拭えないせいで、わざとそのような態度をとって、赦された時、はじめて、この人は自分から離れないんじゃないかと考える。

こんな事をしても大丈夫なら、自分の欠落を見せても大丈夫だろうと安心する。

敬語が嫌いな理由も根底にはそれがあるのではないかと思う。

つい、仲良くしたい人(目上の人にも)タメ口を聞いたり、逆もしかりで、敬語を使わないで欲しいと願ったりするのは、そういった安心を感じたいが故なんだろうと思った。

 

28にもなって、まだこんな幼い思考をしていたんだと気づいた。

 

だから、きっと、俺を親友と呼ぶ人は少ないのだ。

そんな心をみんな見透かして。

 

俺は巻き込まれ体質でもなければ巻き込み体質でもない。

俺はまわりをただ、ゆらゆらと漂う幽霊だ。

 

そんな俺がバンドで歌を歌う。

そんな俺が誰の胸をうつのだろう

 

ほんとは全然違うところにいるはずのあの星たちが、線で結ばれ名を持ち意味をつけられた。

 

オリオン座 さそり座 、、、

意味のなかった夜のモニターに、物語を照らした。

 

俺から伸びる線はない。

ただ、ゆらめいて光るだけだ。

 

俺に歌える歌はなんだろう。

似たような名無しの星たちにむかって、存在を示すだけならしてもいいかな。

 

絶えず位置を照らし続けて、光る北極星のように。同じような星たちの目印になるように。

 

 

北極星、こくま座の一部なんだって。

しってた?

すごい速さで夏は過ぎたがベイベー

夏の匂いがして、いつのまにか春が遠のいていったことを悟った。

 

世間は梅雨だというのに、1日と経てば濡れた路面は消え失せて、土を蹴って歩けばジャリジャリとわんぱくな音を鳴らした。

 

次の春は当分先だと憂う必要はなくて、こんな事を考え耽ってるうちに地球は軌道上をすごい速さで進む。

時が速くなるのは確かな様だ。

 

子供の頃、友達の家に行く途中、川に遊びに行く途中、学校から帰る途中、自転車から伝わる振動が、心臓の鼓動とリンクして急かされる様にペダルをこいだ。

悠久かの様な夏を俺は何度も過ごした。

しかし今はあの振動が警鐘だったのかとすら思うようになる。

 

あの夏、速かったのは時間じゃなくて、間違いなく俺たちだった。

あの屋根が見えたら、あの飛び込み台が見えたら、とペダルを漕ぐ足に力が入る。

そうして、風を追い越して、街も景色も追い越して、いつの間にか秋に追いついていた。

 

でもと思う。俺たちは老いたわけでも、能力を失ったわけでもない。

ただ、ギアを。ただギアを下げただけだ。

大人だなんだと見え透いた嘘をつかれて、ただかしこまっただけだ。

 

滾れ、大人たちよ。

エンジンは立派なものを積んでいるはずなんだ。

燻ってる場合じゃない、ギアを入れ替えよう。

大人も子供もなく無免許で走っていた高速道路を知らないはずがないんだ。

抜いたと思った春にまたすぐ追い付かれるぞ。

 

どうする?俺は秋を追いかけに行くけど、君らはどうする?

きっと、思った瞬間だけは絶対追い風だぜ。

 

傘で空を確かめる

 

"外に出たらまず、傘をさすのだ"

 

いよいよをもって、不要不急という言葉が馴染みを帯びた。不必要な外出は控えるようにと通達が出され、半ば閉鎖的な日常を送るようになった。

 

日の変わり目までぼやぼやと歓楽街を照らしていた酒屋の赤提灯も、今では早々と色を消して暗闇と同化している。

 

そういった経緯で巣ごもりになってしまった私はどうにかこの日常を楽しめないかと思案した。

観たいアニメも手の凝った家飲みもあらかた遊び尽くしてしまって、とうとう引き出しが無くなったわけである。

はじめの方はよかったリモート飲みも結局は居酒屋の賑やかな飲みには勝てなくて、逆に外出欲の起爆剤になりかねなくて、すぐに手を引いた。

読書だってもともとしてるし家でやる事なんて特に変わらなくて、と思いついたのが、外を出たら傘を差すことだった。

日傘なんかじゃなくてコンビニで買えるようなあのビニール傘。

 

ほんとにする事が無いんだなと自分でも笑ってしまうがこれが思いのほか楽しかった。

 

まず明日の天気を予想して布団に入る。

耳栓をして寝て、朝起きる。

息を止めて傘を差して目を瞑って外に出る。

当たったら嬉しい、外れたら残念。

これだけ(息をとめるのは始めたての頃匂いで雨だとネタバレを食らったから)

 

晴れの日だとはたから見れば、おずおずとビニール傘を広げてる女なんておかしく見えるだろうが雨の日は正解でも外れでも楽しい。

 

扉を開いて広げた傘を持つ手にボツボツと雨の振動が伝わって、あ、雨だ。って思う。

いつも挨拶するだけだった子と始めてハグをするような、なんかそんな感じ。

ビニール傘に引っ付いた雨の足の裏を観察して私はいそいそと部屋に戻り身支度をする。

 

彼氏なし、30半ばで、ろくずっぽ人生見えない。

これが私の暮らしだ。

絡まってくちゃくちゃになった日々をどうにか紐解いて細々と生きている。

不安がないと言えば嘘になるが、キリなく蔓延するぬかるみに浸かるような心持ちはきっとどこかで干からびているのだと思う。

 

明日の天気はなにやら四角く生産された奴の赤い部分をこれまた四角く設計された時代とともに薄くなってぬあいつらに向けて押せばいくらでもわかる。

でも、人生には天気予報なんてない。

 

私は、と考える。

 

私はたまに思い出しては心の扉を傘を差しながら出るのだ。

そうして降ってくる不幸をしたから覗いては、はらはらしたり、怖気付いたりする。

でも大抵は外に干してた洗濯物を取り込む程度の事で、低気圧で起こる偏頭痛程度の事で。

 

よほどの台風なんかこないかぎりは大丈夫、と自分を慰める。

 

私は今を生きている。

雨も今感じるし、晴れも今楽しむ。

冬の頬を切るような風も、夏の撫でるような生ぬるい風も、私の"今"たらしめる助っ人だ。

 

私は傘を差しながら心の中に入ることをやめない。

 

だから、と思う

 

だから、このまま。このまま走れ、私の干からびた虚栄心と湿った自尊心。

 

 

 

 

止まない雨はとか。

 

止まない雨は無いという。

いい言葉だなぁと思う反面、ずっと続く晴れなんてないんだとも思う。

"平和"を戦争と戦争の間の期間と訳す皮肉も有名だが、雨とはなんだと思う。

 

大丈夫、いずれ止むからと思うには俺は全然強く無い。

が、代わりにそれを楽しいと思う事には長けていると思っていた。が、最近はその力があんまり無くなって来たなぁと思ってこんな事を言っているのだ。

 

昔大雨の中、傘一本で2人で歩いていた事がある。

家までは近かったし靴ももうずっぽり濡れてしまっていて、いっその事ことずぶ濡れで帰るか!と2人ではしゃぎながら帰った。

 

その頃iPhoneは6で防水もないし、カバンだって中に染みてしまうタイプだったけど何も気にしなかった。

夏の白けた気温の中、大粒の水弾(弾と呼んでいいくらい降ってた)が当たるたび、ひんやりとして、気持ちが高まっていくのを感じた。

シャツはもうぴったりと体にはりついていて、両手を広げて天を仰ぐとまるでドラマの主人公の様な気持ちにもなった。

 

友達と笑いながら水中をかけていた時、その時間違いなく無敵だった。

その時俺らはきっとミュージカルの上映中で、雨音とどっしりと水を含んだ靴の鈍い音とのオーケストラで、どうやら果てしなかった。

 

最近そんな気持ちを忘れていた気がする。

ただしっかりと思い出した。

 

そんな感じで、今後も色んな人を急にミュージカルの舞台にあげながら俺は生きていきたい。

 

巻き込んでいく形で、或いは巻き込まれながら。

 

大丈夫、そんな難しいことじゃないよ。

 

 

日々を愛せ

曲がりなりにも、毎夜、もしくは毎朝ちゃんと眠りについて次の日を迎えられているか弱き僕らへ。

世界が毎秒きちんと動いてる事をわかったうえで、金縛りにあったような、強風で進めないような日々、あるいはその1日を愛せない僕らへ。


団結の誓いをたてよう。


俺が最後列から必ず見といてやる。


なにかの拍子に僕らは、ハッとする時がある。
誰かのギラついた言葉に殴られたり、ちょっとした運のなさがなんどもちらついたり、大切に育てた花が枯れちゃったような気持ちになった時。

ハッとする。
なんだか全てに見放されてる様なそんな気分。

穴にどんどん吸い込まれて、やがて空がちっぽけなくらい奥底でしりもちをついた時、手元にスコップを見て、落ちたんじゃなくて自分で掘った穴だと気付く。

例えば、そんな日々を。

例えばそんな日々を愛せなくなってる俺を含むお前等へ。


俺が誓いを立てる。

俺が1番後ろの方から絶対に見といてやるから。

日々を愛せるように見といてやる。

俺も穴を掘ってしまうような人間だから、手助けは出来ないけど、絶対見といてやるから。

そうすりゃ俺も日々が愛せるようになるんかなぁ、とか思うんよ。

running

地球が(もしくは俺自身が)止まった事によって慣性のまま宙を飛び続けている。
恥知らずの男女を上から見下ろす。
余計な勘ぐりをしたせいか、バランスは崩れたかのように見えた。

世は灼熱との報。
人人がバターのように溶けていく様を見ていた。強化ガラスの内側から。

石を投げようとしたのを堪える。

手のひらに収まる、この何でもできる我々の第二の脳は時間を知らせるのみで、世界が動いているかは教えてくれなかった。

俺は生唾を飲む。

駆け出したい欲求を抑え世界を再び動かす方法を考える。

そのいくつかは徒労に終わる。


気の狂った男女はアイスペールを使うのをやめ、耳に音楽を充てがう。

ネジを回しただけでは時は動かない。

革命に気付いた一派がこちらに向かってくる。
それに向かってこちらも突っ込むしかない。
錆びれた鉄の塊を乗りこなして向かう

ピンク渦巻く街も、獣漂う森も抜けよう。
横目で見てはいけないとバスガイドがこっそり俺に告げ口した。

ためを想って渡した太陽が君を溶かしてしまうような日々でも、会いたいと思うのはエゴだろうか。
眼前にあるのはその光だ。
飛び込め!飛び込め!

ためを想って祈った結末が君を泣かせてしまうような日々でも、会いたいと思うのは罪だろうか。
眼前にあるのはその標だ。
いいのだろうか

ガラスの内側からではうまく歌えない事を言い訳にしていいのだろうか