ヨコタのそれはそれ、あれはあれ。

ヨコタの感じた日々のあれこれ

洗濯物を干しっぱにした梅雨入り


笑うのがとても上手な人を見た。


笑顔が素敵と言う話ではない。



安心させるためには自分から同調して笑ってあげるといい

と。

ほら、こんな風に、と言わんばかりにみんなの前で笑って見せた。




彼はとても綺麗に笑った。
まるでこれがお手本のように。教科書に載っている笑い方をして見せた。


演技の仕事でもしたらいいのに
と思わせるような彼の一幕はあまりにも自然で、その違和感のなさに、とうとう俺は怯えてしまった。



デジャヴを覚えたためである。


誰が悪でも善でもないし、そういう話をするつもりもないが、うなじを、ぬっ、、、と舐められるような感覚がした。

まつげについたゴミが気になる感覚とか、
家の鍵しめたっけなと思いながら働いている感覚とも言える。


とにかく気の落ち着かない思いをした。



人との親密度をはかるものさしに何を使うかという話をする。

彼があの時、綺麗に笑って見せたシーンが笑い方が、過去、俺に向けられたものと似ていたとわかった瞬間、ものさしとして役目は終わったと思った。

このものさしが指す1cmは本当に1cmなのか

と無駄に考えなくてはいけなくなってしまった。


だけどもしかしたら、彼の心から笑った時のやり方を、綺麗に反芻しただけで、俺の考えていることは杞憂なのかもしれない。

なのかもしれない。


しれないし、じゃないかもしれない。


生きづらい性格だなぁと思う。



言えた口か、とも思った。

俺には相手に合わせる笑い方を、其の場凌ぎの笑い方を持っていないのか、と言われるとそれは嘘になる。

大人になるにつれ、ほんとに笑うことよりも、今みたいな技術の笑い方をする方が増えたとすら思う。


たしかに俺も持っている。


ただ、あなたと親密になりたいと、近しくなりたいと思うからこそ使う技術もある。
だってあなたをまだ知らないから。



俺の技術なんてぼろぼろで表か裏かなんてわかりやすい笑い方でもその魂胆だけはあるという事を知ってほしい。


かましくもお願いしていいのなら

他のみんなにも、あの子にも、綺麗に笑った彼も、俺と同じような魂胆があればいいのに。

深夜12時。終電の揺れ方で。
梅雨が訪れそうです。