愛の速度
ちょっとだけくさい日記を書く。
先日歌詞でもかくかぁと思い、耳の聞こえない少女にどうやって愛を伝えようか、とまで書いたところでペンがとまった。
めっちゃ確かに。って思った(ヨコタはバカではないです)
そこで色々な伝え方について考えてみた。
とりあえず思いついたのが口で伝えることだった。
口で直接伝えるのはとてもポピュラーで良い。
言われた時の景色、空気、全てが思い出になる。
と、と思いきや最近の若人はlineで伝える事が多そうだと感じた。
上が口ならこっちは文章だ!というわけである。
たしかに手っ取り早い。もし振られても気まずくならず、おやすみ〜と羊のスタンプでも送ればその場からは脱出出来る。
でもあんまり好きじゃない。
便利だけどなんか違う感がある。
文明が進み、便利になった世の中では、いらない手間ほど綺麗に見えたりする。そういうのが欲しい。
なんて考えたが、よくよく思うと日本人はもともと文章で愛を伝えてなかったか?
平安時代やらなんやら、あの時代はやたらめったら文字で愛を伝えていた。和歌が流行ったりしたのも用はラブレターが始まりじゃないのか?
そう思うと急にlineでの告白もありな気配を帯びて来た。
趣深いなぁ。むしろ口で伝えるほうがダサいとまで若い人からは言われてしまうかもしれない。
平安時代の垣間見の最中、突然愛を叫んでも果たして現代の様に愛は伝わってくれるのか。
垣間見の中心で愛を叫ぶ
715年冬 〜coming soon〜
さて聴覚、視覚ときたら次は触覚だろうか。
EXILEの歌詞に
- 抱きしめる強さで思いをはかれたら
というのがある。きっと抱きしめるだけでも思いの度合いは測れなくとも伝わりはするんだろう。
何も言わずに抱きしめるだけで相手に好意を伝えるのは高度な技術そうだが、伝わる。
次は味覚と嗅覚かと思ったがおおよそ愛の伝え方はこの3つだなと思った。
口と文と抱擁(?)。
この3つは確実に伝わるが、愛は伝わればいいなんてもんじゃない。
愛を伝える意図なんて語り出すのはとてもじゃないけど野暮ったいので割愛するが、要はその情報の信頼性と強度が大事になってくる。
そこで愛の速度を考えたのである。
それぞれを分解すると(これもかなり野暮だ)
光速、音速、、、、抱擁はなんだ?
抱擁は触れた瞬間という定義でいえば、一瞬とする。
となると速さ順では抱擁>口>文章ということになる。
∴抱擁が1番愛を伝えられる
とはならないのが人間が最大の知能を持つ複雑な生物の厄介たる所以だ。
他の生き物みたいに優秀なオスという判断基準だけで愛が成立すれば、人間に悩むなんで無駄な脳の使い方は無かったろうに。
セミは声がでけえやつが勝ち祭りが夏に開催されるし、ダンスが上手えやつが勝ち祭りをあげる鳥だっている。
とてもシンプルでいい。
が、そこには信頼性と強度はなかろう。
僕たちはあくまで人間で悲しくとも人間なのだ。
そもそも愛の速度なんて考えたところでその強度は保証されないし、いくら思考を重ねても答えなんて出ない。
批判は受けるつもりでいうが、中学、高校でここでいう信頼性や強度のある恋愛なんておよそない。
チュートリアルかデモンストレーションだ。
恋愛なんて結局、その人の歴史やなんやらをごちゃまぜにした形容できない何かなんだと思う。
仮に人間がもっと賢くなって愛の公式なんてできた日には、月が綺麗ですねと綴ったかつての文豪たちや、日曜日のバスの揺れ方で幸せがわかると歌った歌人たちは全て消し飛んでしまうだろうな。
わからないけど。
幸せになって欲しいと願ってやまない姉貴への気持ちを愛がないと言われればきっとおかしい。
これを姉に伝えたとして、口だろうが文章だろうがなんだろうが、きっと確かな強度を持って伝わると思う。
ヨコタはシスコンだと言うことを思い出した。
p.sコメントしてくれると嬉しい
おわり