ヨコタのそれはそれ、あれはあれ。

ヨコタの感じた日々のあれこれ

がんとうのかん

人を見下す事が増えたなぁと思った。
口が悪くなったりいい方向に大人になってないのは確かで、なんとなく思った。

最近はあんまりないけど、小さな事ですぐイライラする時期があった。
今もイライラする頻度は子供の時よりは増えたわけで今はよくなったって話じゃないんだけど。

まぁどうにもこうにも人を見下す癖がついたなぁって思った。
よくないなぁって思うわけで。
直したいんだけど、そもそもなんでそんな癖がついてしまったんだろうって考えたの。


今日はそんな話。

そもそもヨコタは人を見下す事なんて、ほんとに理解できない子供だった(と思う)
嫌な人間に対して悪態をつくことはあったとして、人間を下に見るなんてしなかった。
これは中学の時の話。

兎にも角にも目立ちたくてしょうがなかった中学時代を、経て
ヨコタは高校生になる。


そんな中学とは打って変わって、高校では目立つことを避けるようになった。
自分を卑下し、悲観的になることで、ある種心の傷の予防線を張ることで安堵感にどっぷりと浸かる事を覚えた。

でもこれは麻薬だった。

この事に関して後悔はしてないんだけど、ヨコタには毒で、どうにもオーバードーズ(?)だった。

高校初期は嘘の卑下だったものが後半になるにつれ、本当かそれ以上の卑下、卑屈になり、結果静かな教室で唾を冷や汗をかきながら、苦労して飲み込むような人格に昇華した。

そんな人格を引きずったまま大学へ入学し、東京へやってきた。
これは前の日記?でも綴ったように、しばらくすると治った。
電車で水も飲めるようになったし、他人の視線で変な汗をかくこともなくなった。
この治し方がいけなかったのかと、鑑みた。

さっきも言ったけど日記にあるように、東京には変な人がいっぱいいて、俺は人の視線に止まらないような人間であると自覚しはじめた。
この自覚を持つのに、みんなはきっと普通に受け入れるんだろうけど、ヨコタはこの人は俺よりおかしな人だと、一人一人丁寧に認識しないと自覚が出来ない。(というより出来なかった)
街を歩くたびに、電車で水を飲むたびに、俺は変じゃないあいつの方が変だから見られないと考えるようになる。
この反復作業が、中学時代の、人は見下しちゃいけないっていう心のセンサーに少しずつ傷をつけてはその皮膚が硬くなって、とうとう麻痺してしまったのだ、と考えた。

どうにかして治したいが、この癖をもし無くしてしまうとまた水も飲めない人間に戻ってしまうのかと怯えている。
この癖を否定する事は俺自身が、自分は自分であると思うための心を否定する事になるんじゃないかと。

ヨコタは今揺れていて、どうしようか考え込む。
考えなくていいような事ばっかり頭を埋め尽くして、どうにも八方塞がり。

あー、めんどくさい。

とってもめんどくさい。

とってもとってもめんどくさい。


空は灰色だから
という漫画で極度の恥ずかしがり屋の子が、過去1番恥ずかしい事をわざとして、これ以上恥ずかしい事はないだろうという気持ちを持つという回があるんだけど、

その子みたいに他人より恥ずかしくないじゃなくて自分で恥ずかしくないと消化できればいいんだろうね。


もし今日以降、夜中の調布でバニーガールに扮装した変な男がいたらきっとヨコタだと思って。


あーあ、解決。