ヨコタのそれはそれ、あれはあれ。

ヨコタの感じた日々のあれこれ

闊歩

ペトリコールというものをご存知だろうか。


先日匂いの日記をあげてから匂いについて調べていたところ、このペトリコールという匂いを知ることになった。

ペトリコールとはWikipediaから参照すると

      • ペトリコール(英: Petrichor)は、雨が降った時に、地面から上がってくる匂いを指す言葉。ギリシャ語で石のエッセンスを意味する。

という事らしい。エモい。
しかもなんだろうか、この匂いを知ってる気がした。
最近、感性が磨かれそうな事には躊躇しない、をモットーに掲げている僕は確かめに行きたくなった。
ちなみに僕はよっぽどの出不精なので予定がないと玄関までしか行動してない日が多々ある。

その日はちょうど前日に雨が降った後で、熱の引いたのもあり近くの多摩川に散歩しに行った。

なんとなく午前中の方がいい気がして、起きてから眠い目をこすりながら歯を磨いてから出発した。

出発してからすぐ朝日が苦手な事を思い出した。
寝起きのせいなのか、なんなのかはわからないけど朝日はやけに眩しく感じる。
もう一度眠らせたいのか、ヨコタの小さい目を潰しにかかる。けども、果たして目が冴えたのも事実だった。

北風と太陽のごとく、月と太陽で眠らせる対決があってこの作戦を太陽が実行していたら結末は弱々しく光る月の勝ちだったろうな(最近のヨコタは夜行性である)なんて考えてる内に多摩川についた。

午前中の多摩川は思ったより閑散としてて、たまにランニングをしている人が通るくらいだった。
歩きながら多摩川を思うと冬に凧揚げをした思い出や、大学に入ってすぐ軽音部でBBQをした思い出(本当はしちゃいけないのかも)が次々浮かんできては、そうだったそうだったと丁寧耽ったりしたが、その2つが交互に顔をだすだけで、多摩川の思い出はおしゃれ大学生が持つおよそ実用性のない小さなポーチに入るくらいしかない事に気づく。

今日のこの散歩が新しい思い出になればいいなぁと考えながら歩いた。

やがて多摩川の川べりまできて今日の目的を果たすべく、太陽を浴びながら下を向いた、なんとしてでもエモさを感じなければならない。

ところが全く匂いがわからなかった。
しばらくしゃがんで顔を地面に近づけてみても匂わない。

前日が小雨だったからだ、と思い、川から水を手で掬って(とても冷たい!)地面にまいてみたが、変わらなかった。

側から見ると、金髪が地面に顔をつけたり水を撒く姿はインスタ映えから程遠い何らかの儀式に見えただろう。

どちらにせよ僕は落ち込んだが、これもまたペトリコールなどと君の名はみたいな事を思い踵を返した。

来た道を帰る途中はずっと向かい風だった。
ふと高校の時友達が、向かい風は敏感に感じるのに追い風はあんまりわからない。と言っていたのを思い出した。
彼がそれをどういう例えとして持ち出したのかは忘れてしまったが、非難と応援として自分は納得した。

気付かないかもしれないが、どこかで皆追い風に吹かれているのだ。
常にアンテナを張ってろ、と言うわけではないにせよ「向かい風」を受けるたびに彼の言葉を思い出しては自分に吹いている、もしくは吹いていた「追い風」を偲ぶのである。


ついでに言うと帰宅途中に、先日の熱が置き土産として置いていった鼻詰まりを患っている事を思い出した。
そりゃあ匂わないわけだった。乾いた笑いが出たが、落ち込みはしなかった。


かくして出不精の僕がペトリコールに期待して多摩川まで闊歩した収穫は、自分の馬鹿さ加減を成果として幕を閉じた。


鼻詰まりがなくなったらまた行こう。


きっとその頃には追い風になっているだろう。



ps.台風の影響で最近また桜が咲いているらしい。