祈りと、そして。
星の跡を辿るには声をあげなければいけない。
命を吹き込んだ声を何度も何度も。
祈りに近い行為だが、本質は違う。
祈りとは託す行為だ。今日以降の日々を自分の助けになる様にと託すのだ。神、または何かに。
星の跡は祈りでは辿れない。
祈りでは過去の、今日より昔の、自分を、
許したくない自分を、憤懣やるかたない日々を晴らす事はできない。
星の跡を辿る必要がある。
ただ、我々は1度星の跡を辿った事のある人間だという事も知っておかなければいけない。
生後、産声。まさしく最初の辿りだ。
我々は赤子が泣けば乳を与える。それは知識で。
しかしな赤子はその知識がない。泣けば乳が手に入るとは知らないのに、我々は声をあげてきた。
それ以来星の跡を辿った事があるだろうか。
俺は思うのだ。祈りでは解決しない。
過去の失敗した自分が、それすらも間違い出なかったと思う事が出来るには、星の跡を辿り、無垢な叫びを浴びせ、再び星に光を灯すしかないのだと。
俺たちは光を灯せる。
過去の自分を責めるのは疲れる。
その自分を認めるために何度も星の跡を辿るのだ。
たとえ、一瞬しか光らなくても。
そして、それがほんの一瞬でも、俺はちゃんと見ておくから。
約束するよ。